昭和45年03月01日 月例祭



 「真に、有り難しと思う心、すぐにみかげの始めなり」・真に有り難いと思う心、すぐにみかげの始めなり。真に有り難いと云う心が金光教の信心で云うおかげそれが、の始めなのです。真に有り難いと言う心が、すぐにみかげに繋がるんだと。おかげに繋がると云う、同時にその事が、お道で云う「おかげ」、所謂「おかげ感」なのです。金光教のおかげとは、どう云うおかげか、どう云う事をおかげと云うのかと。
 おかげおかげと。もう金光教の信心ぐらい、おかげと云う言葉を使う宗教はあるまいと思います。お参りをさせて頂く、「今日は、お引き寄せを頂いて、おかげを頂きました。」とにかく、「あなたの所に昨日、泥棒が入ったげな。とにかくおかげを頂きました。」〔笑〕と、云う様に全てをおかげで返事すれば、相手にも通じる通う。少しちょっと響きますね。ちょっと少しね。
 ですから私どもは、日々ふんだんに、そのおかげと云う言葉を使わして頂いて居りますがですね、「真に有り難い」と云う心が、金光教で云う本当のおかげなのです。「真に有り難い」と思う心が所謂、金光教で云うおかげ感なのです。ね。かくおかげをみると云う事。しかも、そのおかげが、所謂おかげが伴うと云うすぐに。だからそのおかげと云う子とを、色々に言われて居ります。
 けれども、真に有り難いと云うのは、どう云う事かと云うとね。たとえば、私、今日のお月次祭を奉仕させて頂いて、ははぁこう云う心が真に有り難いのだろうと。何遍神様にお礼を申し上げても、申し上げても限りがないほど、所謂下から込み上げて来る感動と云うもの、それが何の為やらわからない。いや今日はもう一日のお月祭じゃ有るけれども、久富先生が云うて居られました。
 「今日のお月次祭には、お供えを全部は出されませんち。」と、云う程しに例えばお供えが山積みされて居ると、ね。ご神前はお供えで埋まって居ると。だから私が感動じゃないのです。只々有り難い何もない只有り難い。そのただ有り難いと云う心が沸いて来ると云う事が、おかげなのです。その心に此の様なおかげが伴うて来る。と云う訳なんです。ね。ただ有り難い。と云うのは何処から沸いて来るのだろうか。
 それをです。私は厳密に分析してしみると、どう云う事に成るだろうかと。ただ有り難いと云うのは、何処から沸いて来るのだろうか。それはあなたの心の底からだけど、その心の底から沸いて来る、その只有り難いと云うのは、なぜ起こって来るのだろうか。そう云う、環境が。ね。そこにいわゆる私が今日皆さんに解ってもらおうと云う、いわゆる金光教の、所謂おかげ感と云うなのですねえ。
 いうならばです。神様のお喜びが私の心に中に響いて来る。神様の感動が私に心の中に感動となって現れてくる。そう云う事なのです。真に有り難いと云う心はそう云う心なのです。ね。そこで、そう云うおかげ、そう云う心の状態を願い、又求め求めして信心を進めて行くのがです。私はお道の信心の進め方だと思うのです。ね。それはおかげの中には、沢山ありますよね。
 お願いをして本当におかげを頂く。人間関係の上に物質の上にね。健康状態の上におかげを頂いた。あぁまことにもったいない、有り難いおかげを頂いたと、ね。例えばそう云うおかげならです。しかしこれは金光教の信心じゃなくていいわけですよね。そうでしょ。どこどこの御不動様にお参りをしてから、こんな難渋な問題がおかげを頂いたとかね。ない命を助けて頂いたとかって、言う話ならもうそれこそ昔から今日に至るまで、どの位奇跡的なおかげを頂いたり現されたりした。
 神様やら仏様やらまた、それを受けた信者、氏子が居るやらわかりません。ね。金光教のおかげ感、金光教では、おかげをどう見るかと、おかげとは。それは、今日、私が言おうとした、ただ有り難いと云う心なのですね。あれはなんとか法師でしたね。伊勢の大朝にお参りをさせて頂いて、歌を作くったんですね。「なに人の おわしますかは しらねども」ね。ただありがたさに、なんとかね。
 「涙こぼれる」かなんかっと云う様な歌を残したと云う事です。ならどなたがお祭りしてあるのか解らんけれども、あの神々しいまでの神域に触れさせて頂いた。五十鈴川のほとりに立たせて頂いたらもう唯ただ感涙にむせぶ、それが何処から湧いて来る環境とも解らない程しの有り難さだ。環境と云う意味でしょうね。ね。ですから私が今日ただ有り難いと言うのはその、それとは違うんですね。
 私が今日なら御神前で只有り難いと思うたのは、あの山と積まれたお供えを見せて頂いたとたんに、感激を頂いたと云うのでは無い。と云うて「なに人のおわしますかはしらねども」と思うて沸いた感動でもない。その感動の出所と云うのは、神様の心の中にあったんだ。その有り難いと云う心が神様の心に響いたのだとね。云うならば親の喜びが子供に照り返えって来たのだ。
 神様の喜びが私の心中に響いて来たのだ。それが有り難いと云う事成ったと云うものでなからなければお道で云う本当の、いわゆる真に有り難いと云う事では無いと、だからそれを目指すと云う事なんです信心は。そこで親神の心が分からなければならないと、云われる訳です。親神様の心が分からせてもらおう、親神様の心に添い奉ろうと一途に思う。ね。その一念がです。神様をいわば感動させる。
 神様が喜んで下さる。その喜びが只何処から沸いて来るか解らん有り難さになって、おかげはしかもそのすぐに御かげの始めに繋がって来る訳です。そこでですどう云う様な事に成って来るかと云うと、先程日吉さんが此処で発表して居られましたですねえ。まあもう、本当に若いのに、熱心にあれだけ打ち込んで行かれる。しかも中々頭が切れる方ですからもう教学面の事を、非常に求めて追求して行かれる。
 ご理解研究会なんかの中心になって、まあおかげを頂いて居られるがです。所が矢張りそう云う云うなら、最近いわれておる所の和賀心の難しさにです。辟易きとして居られる。ね。日吉さんの言葉を借りるとです。例えば職場で嫌な事が起きて来る。今までは嫌な事は嫌な事として、むき出しに出して居ったのがそれでは信心ではないから、それを云うなら黙って受けるとこう云う訳です。
 受けるだけでは無い。それは私の和賀心を育てて下さる材料として、頂くと云う事なんだ。ね。それだけでは無い。相手のその人の事も願う祈ると云う事に成らなければ、ならないと云う事が頭で解っておっても、やはりそこの所の稽古の難しさに。まあ云うならば、最近、一つの信心の壁にぶつかっておる、と言う意味の事を、先日お届けされましたが、今日の話も、そう云う中に、そう云うふうに云うて居られます。
 だから解っちゃおれども中々出来ない所に、いわば稽古が有のですからそれでもね。ですからその事をです。例えば倒れ転びしながらでも、求め求めして行く所に信心のいわば追求があるのです。先月の25日の婦人部会に、始めてだったでしょうか、そこの田中さんがあの参加された。皆さんがもう感動いっぱいで、喜びいっぱいで体験を発表なさって居られるのを聞いてです。
 はぁ本当に長年信心させて頂いて居るがです。わたしの信心の焦点が間違ごうて居ったと、 気付かせて頂いた。本当に自分の家の事業店の事ばっかり、自分の子供たち娘たちの事ばっかり、その為に朝も参れば夜も参ると云う様に参っては居るけれども、そう云う、おかげばっかり目指して行くと云う事は、今日の婦人部会の人達の発表その体験談を聞かせて頂いて居るとですね。
 云うならば、神様に借金になって居る様なものだと。しかもその借金は、神様があの世までも、取りに来なさる様な、性質のものであると聞かせて頂いた。そりゃあもう死んでからあの世まで、借金取りに来られたんじゃあかなわんと思うた。私の信心の焦点が間違って居った事に、いわばほんぜんとしてそれが心の中に響いてきた。そのお届けをされる時に私は申しました。
 「今天地の開ける音を聞いて、目を覚ましたのですよ。田中さん。」解かっちゃ居れども、解かっちゃ居れどもやはりおかげ、おかげおかげを頂くから、信心をすると云う訳なんです。けれどもこれからは神信心をさせて頂こうと云う気に成ったのです。神信心をさせて頂こう。その神信心におかげが限りなく付いて来る道があると云う事を、いわば悟られたと。まあその事をこう云う葉で表現して居られます。
 丁度此処の久留米の市役所から、衛生課のごみ取りに来るんです。所が、自分の所のアパ─トもお願いされましたから、此処も持って行ってくれんから困ると。云う話をしましたらそんなら市役所に参りますから、私が一緒に手続きをさせて頂こうと云われる。じゃあお願い致しますと、まあ簡単に引き受けて参りましたが、いよいよ市役所に参りましてね。親先生あなたの名前を初めて書かせて頂こうと思った時に、手が震えてしょうがなかったと云う。「大坪 総一郎」って書く時にです。
 今までの大坪さんだったら、そげな事が有ろうはずはなかった。ね。本気で神信心させて頂こうと、今までの信心は間違ごうて居ったと、今、天地の開ける音を聞いて目を覚まさせて頂いてですね。いわば合楽教会の御用の一端として、そうさせて頂こう。先生のお名前を初めて、筆をもって書かせて頂く時にですね。その筆が書けない程に感動致しましたと、言うて居られます。
 その様なふうに変わって来るのですよ。おかげと云うのはね。だからこの辺の事は、理屈じゃ無いですね。只何処からその震える様な感動が起きて来たか解らん。今日先程秋永先生が話して居られました様に、旧信者の方の会合が櫛原で御座います。その下準備といった様な意味で各教会で会合をもって、その日スム─ズに行く様にお願いしますと、云う様な事であった。
 秋永先生が、わざわざ朝のご祈念に参って来て、また午後から見えられまして、その中心に立って下さったわけです。私が今日もうあのう田主丸の田代さんの三年の式年祭があったりしまして、先生方がみんな出払ってしまった。明日のまぁおついでながら相すいませんけれども、明日三日が親教会の報徳祭ですので、どうぞ皆さんお参りを頂きます様お願いを致します。ご案内も来とりますからお持ち帰り下さい。
 何時もの様に久保山先生の所から、皆んな揃うてお参りを致したいと思うて居ります。時間などは、此処に通知が来とりますから、あとからどうぞ頂いてお帰り下さい。その様な事で、今日は月次祭であると同時に大祭前のお掃除が御座いますので、愛子と光昭が参りました。若先生は此処からお客さんがちょっとありましたから外出して居りました。本当にそれに朝からお広前がてんやわんやでした。
 もう佐賀熊本もうそれに佐世保からもお詣りが御座いました。今日は広島からも自動車でお詣りをしてみえられました。もうとにかくお広前が私が午前中座っとる間は、お初穂が溜まって、お初穂をお届けを書く時間が無いとです。お取次ぎさせて頂くだけと云う程に、今日は午前中勿論お月次祭と日曜が重なって居りましたからね。だからそれもですね。やはりおかげを受けるからまたおかげを頂いたから、お礼参拝であり受けるからが、まぁ云うならば殆んどで御座いますね。
 だからそう云うのもやはりおかげなのです。けれどもだからそう云うおかげからです。段々段々。云うならば何処へ行っても通用する所のおかげ。しかし金光教の信心で云うおかげとはそう云う事ではない。それを今日は真に有り難いと云うおかげと云う事を、皆さんに聞いて頂いて居る訳ですが、その事に近づかせて頂こうと云う事なのである。ね。それで皆さんがまだ其処まで行ってないからね。行ってない。
 まあその信心は有り難いと云うものを、一段一段積み重ねて行く、その有り難いものが、是がお徳と云うものだろうか、と云う事に成って来る時ですね。もうそれをまた一段一段積み上げて行くと云う事が信心なのです。ね。ですからそれを信心のお育てを頂く、と云う訳なんです。だから今あなた方の信心がそれじゃいけんと云う事じゃないです。なら田中さんが何十年間、お婆ちゃんのご信心を頂かれて。
 そして親教会にご神縁を頂いて、そして合楽に見えたから合楽であの様に打ち込んで信心が出来て行かれて、やっぱり其処までには長年の積み上げと云うものが、やっぱり有っとりますそしておかげを頂きました。広大なおかげを頂きましたはずうっと頂いて来とられる訳です。けれどもねそれでは本当のものでは無かったと、ほんぜんとして解った時にです。大坪総一郎と云う名前を書くだけでも手が震えて書けませんでした。
 と云う様なものが生まれて来る初めて、真に有り難いと云うものが生まれて来た。神様のお心に触れて来た訳なんです。ですから決して皆さんの信心を今の此のままじゃいけんと云うあっいけんのですけど、それをわたしはとやかく云うのじゃないのです。そう云う、目指しを持たなければ成らない。例えて申しますと、昨日は野口さんのご長男の所の結婚式でした。小倉の方で御座いましたから。
 あちら、姉さん富永よし子さんご夫妻が、もう中心に成ってお世話なさった。毎日毎日朝、電話が掛かって来る。「今日はいよいよこうで御座いますから。」 昨日も掛かって来た。今朝からも掛かって来た。「本当にもう先生。天候の上に、万事万端の上に、神様のご守護を頂いて居る印と云う様な、おかげを頂いておかげを頂きました。今日はとりあえずお電話ですけれども、お届けをさせて頂きます。
 今晩はお月次祭には、また母と一緒にお引き寄せを頂きますから、どうぞよろしゅう。と」今なら野口さんがおかえりになって、「ところが、よしこが少し疲れが出とりますふうで、それに熱まで出とりますので、お供えだけ事使かってまいりました。」と。それがいけないと云うのじゃ無いですよ。けれども神様に嘘を云うたですものねえ。電話の口で簡単にまあ云うならです。神様をだまくらかしてから。
 神様は参って来ると思ってから、かくしゅして待って居られたかも判らない。まぁあれがあげん云うからもう来るじゃろう、もう来るじゃろうと思うて御座る。所が今日はご無礼します。もうがっかりする。是は私ががっかりするのじゃあない。神様ががっかなさる。だからそれがいけないと云うのじゃあ無いですよ。それは富永さんの信心がそこまでなのですから。ですから例えて云うなら、熱発も良かろう寝る事も良かろう、けれどもお礼参拝をさせて頂いたら。
 もうぐったり寝付きましたと云うならまだちっとは良かです。けれどもその気に成れば、そう云う風邪ぐらいは吹っ飛ますよねえ。きっとそうしなさいと云うのじゃあ無いです。真に有り難いと云うのは、そりゃあお願いをして思い通うりに成るなら誰だって有り難かですよね。そこん所をですね。もう一押しさせて頂くと云う所にですね。真の信心を感じさせて頂いて解らせて頂いてですね。おかげを頂いて行かねばならない。
 今日は、信心のまあ云うなら浅い方たちの集いの中に、上滝さん達夫妻が今日此処お参りをして居られます。少し解りだすと有り難いですねえ。今朝も来てまた二人で参られた。よっぽど今日の秋永先生の教導と云うかのリ─ドが、良かったに違いない。それで私も一時間ばかり向こうから迎えに来るのがずれましたから、その間三十分ばかり応接間で、色々と信心のお話をさせて頂いたんですけれどもね。
 私が云うんですよ。「なるほど、上滝さんなんか、年に何回かしか参って来ません。参って来ませんけどもね。貴方た方がどうでも私の祈りの圏内に有るんだから、必ず熱心な信心に成る事私は信じておる。」と、私は言うんですよ。納富さん夫婦も来て居った。森部の高山さんも来とった。けれどもまあこう云う会合が有るから、出席して頂く訳ですけれどもその中に私がね。
 今朝お届けを貴方た方のお母さんの事に付いて、お届けがあった事を貴方方に聞いてもらうと云うて、お話をした事で御座いました。それが又今日のご理解の芯にも繋がる事ですからお聞き下さい。上滝さんの信心がいけないのじゃないのです。そこの所をどうぞ了としてお聞きに成らなければいけません。今朝のご祈念のあとに原さんがお届けをされました。これもやっぱり先日の二十五日の婦人部会の時にですね。あとで本当に田中さんが感動される位でしたから。
 よっぽど素晴らしいお話し合いが出来たんでしょうね。原さんが上滝さんの横に居られる。ではなくてもあの様に内々の様に心安くしておられる方で御座いますから「原さん、云うならばね、初めてあんたにこう云う事を打ち明ける」と云う意味の事を前提としお話になったそうです。上滝ミチエさんが「もう皆さんの話を聞きよると、みんな有り難い、有り難い有難うして答えん様に話なさる。話はよう解るし自分も出来る。」
 皆さんもご承知のように話は名人ですからね。あちらのお母さんは。「所が原さん私はどう云うもんかね、あぁ云う有り難いのが沸いて来んのだけれども、どう云う訳だろうか。」と云れる。そりゃあもう広大なおかげを頂いた。広大なおかげをもう此処でお参りしてみえて、私も云い様のない程に、素晴らしいおかげを受けて行きよる様なお陰をのない程に、やっぱりおかげを受けて居る事にはおかげなんだけれども、今日私が云いよる「真に有り難い」には、触れられない悩みを原さんに打ち明けられた。
 其処で原さんが答えて云うて居られる事、私は素晴らしいなあと思うたです。あなたがいわゆるご主人と若くして別れられた。まぁだ子供達はこんなに小さい子供達ばかりで、泉さんがまだ、小学校の何年生だったでしょうかねえ。と云う様に男の子ばかり四人もずらり。その子供たちの顔を見ただけでも、それこそ自分が頑張らねば、この人たちの手足は伸ばんと、やっぱり覚悟したんです。
 お百姓かた手間になれない商売までさせてもろうた。そして子供達の手足が段々伸びて行く事を楽しみに、いわば一生懸命に若い未亡人が、子供達のために一生懸命自分の命を削る様にして働いた。おかげで段々子供たちに、高等教育まで受けさせる事が出来た。それに一人一人ね最高のま、私の内では最高と云われます迎えた。長男を嫁を迎えた。次男は、兄弟の所に養子行ってそれも最近、家内を迎えた。
 次の子供も就職のおかげを頂いた。ああ云う中にどうしてああ云う事が出来るだろうかと云う様な程しに、近所近辺がたまがる程に働いた。そして、あの見事な住まいを云わば新築した。大変な事だったと思うんですねえ。主人が亡くなってこの方、一生懸命子供たちの手足が、伸びる事を楽しみに、勿論、信心も致しました。此の人が就職の時なんかは其れこそ一生懸命の信心でした。
 そしておかげを頂いて参りまして、もう云うならば、有難うして答えないはずの上滝さんが、「有難うないが、原さんどう云う事だろうか。」と、云う様な事に成って来た。其処までは、だから世間で云う本当にお母さんの鏡の様に有るので御座いますけれども、信心は、その辺から違うのです。原さんが言われた「上滝さん彼方方からご覧になって、私どんが朝参り、夜参りさせて頂きよる事がです。
 おかしいように思いなさろう。けれどもね一時が万事に、親先生任せで私共は信心させて頂いておる。そして何とはなしに、神様の何とはなしにではない。真実ですね。神様のおかげと思わなければ居れない実感の中に、日々を過ごさせて頂いて居る。家庭の中に例えば長男が嫁をもろうた。妹達が次々に三人の子供達を縁に付けた。親としての責任が一つ一つ、いわば開放される思いである。
 それがね一時が万事に、神様親先生のおかげを頂かなければ、出来る事ではない程しのおかげを頂いて、是が今日に至って来た。だからどこどうをつついても「親先生、有難う御座います。」今日の朝のご理解じゃないですけれども、久保山稔さんの手紙の事が、今日の御理解に出て居ります様に、3枚なら3枚に、びっしりお礼の言葉が書いてあるが、その中に親先生と云う言葉が、どれだけ出て来るかわからん。
 親先生有難う御座います。親先生有難う御座います。と云う訳なんです。もう二回位で良かろうと思う所に三べん位書いてある。次の事を書いちゃ又、親先生有難う御座います。と書いてある。十七年間でしたか、東京のいわば当時の久保山からいやぁです。成る程、終戦と同時にいわば、地主さんやらが大変困られる時代になった。郵便局をして居られた、それも追放になられた。もう大変難儀な中にあってです。
 稔さんが思うた事はね。誰が何と行ったって水商売が一番早かとこう思うた。そこで自分は明善校、卒業してからですよ。寿司屋の小僧に行こうと云う気になって、同じ行くなら一流の所と云うので、東京の銀座の双葉におかげを頂かれて十八年間。しかしよう十八年間も辛抱したと思うです。もうそれまでにはね。いわば次次と自分より弟子達が出て行ってから開店する訳なんです。それで「親先生もういいでしょうか。」と、
 お伺いしても「まだまだ時期が早い。まぁだまぁだ、まぁだ。」であった。所謂親先生まかせに成る事が、久保山の信条ですから、親先生がそう仰るならと言うて、まあ半年、一年頑張るけれども、もうやっぱり年も段々取って来るし、やはり大丈夫だろうかと思う。もう早く出らにゃあ出そこなうと思う。それでもまだまだ待て、待てであった。十八年ぶり初めてお許しを頂いて、四谷に双葉鮨の支店を持つ事に成った。
 寿司屋の職人位ですからそんなに金が溜まっとるはずはなかった。けれでも稔さんがあそこへ店を持とうとなっただけで周囲がね。おまえがやるなら応援するぞという雰囲気が生まれてきた。いうならばね。甘木の親先生じゃない七年間も小倉で修行をされて、教師の資格を取られてからでも、まだ出られなかった。お許しを頂くまでいわば頑張られた。何も知らない甘木の里に布教に出られた時には、それこそ押すな押すなで信者が詰めかけたんです。それで、ある先生が聞かれた。
 「他の者の所には、非常に布教で難儀して居られるのに、どうして安武さんの所では、どうしてあげん人が助かるのでしょうか。」「それはね。舞台裏の修行が長かったからぞ。」と、仰った。だから、花道に立ったとたんにです。大向こうからそれこそ「安武。」と言う声が、かかった様なもんです。私は稔さんの場合もそれを感じます。それこそもう、寝る時間が無いと云う程に、繁盛して居ると云う事で御座います。
 ご覧になった方もあるでしょうけれども、先月の婦人倶楽部にですね。日本中の美味い物の店として、四谷の双葉鮨が取り上げられた。写真入りで。それこそもしあれだけ宣伝するなら、たいした事でしょうねえ。こう云う素晴らしい寿司を食べさせて頂いて居るんだと、天皇陛下にお寿司を握ってあげる、寿司やで有名なこの双葉鮨の支店が、四谷に此の様な店をはったと云う記事とが写真入りで報道された。
 まだ今年の七月が来なければ一年にはならんのですよ。本当に親先生が「まだ待て、待て。」と言われた意味が解って来た。原さんが言いたいのはそれだった。私達は本当に神様まかせ自分の我力じゃない。そりゃあ上滝さんが十何年一生懸命。尊い子供達はこんな事、母のご恩など忘れたら大変だけれども、そこにあれも出来これも成就した時に、始めて気が付いたのは、皆さんが有り難い有り難いと云うて居られる。
 その有り難いのが自分に無いのを、言うなら恥ずかしい位に思うて、原さんにこっそり聞かれた時、原さんがそう答えられた。私どもどっちを向いても、親先生がなからなければ現在の原は有る得なかった。と云う事を辿り辿らせて頂いて、今日目を瞑ればいわゆる朝の御理解じゃないけれどね「天地金及神と云うに及ばぬ、金光大神助けてくれと云えば、助けてやる。」と、言われる程しにですね。
 親先生と言うただけで、おかげを頂くと云う事がです有り難い。私ね金光様のご信心がね。この様なふうにして成長して行く。そこから生まれて来るのが真に有り難い。親先生あって、久保山一家があります。親先生あって原一家が御座います。そこにですただ有り難うて、有り難うてと云う様うなものが生まれて来るのではないでしょうか。そこにお道で云う「真に有り難い」と云う、云うならばそこには親もたつ云うなら親先生もたつ、信者も立つ神様も喜んで下さる。
 神も喜び氏子も喜び、金光大神をもの喜びじゃと言う事に成って来る。そう云う喜びの中にあって来る、何処から湧いて来るか解らん有り難さ、只々有り難いと云う心が真に有り難いと云う、それが金光教で云うおかげ感なのだ。だからそう云うおかげを目指して私共が日々信心私共がね。只忙しい只繁盛しておる。お取次ぎをまぁ頂いてお願いをしておかげを頂きよると云うけれども、それは本当に神様の心を知って、神様任せに云うならば、十八年間も「そげな事あるもんか。もう辛抱出来ん。」と
 十年位で出とったらどうでしょうか。十五年後に出とったらどうでしょうか。其処から繁盛して行く本当の繁盛が、真に有り難いと云う所から伴うて来るおかげですから、所謂無尽蔵限りないおかげに繋がるんだと。私はこう思います。ですからお道の信心のおかげ、おかげと皆んなが連発しますけれども、その自分が言うて居るおかげの内容と云うものを検討して、しかも、それでいけないと云うのではない。ね。
 田中さんの例をとりました。何十年掛りで、そこに目が覚めたと云われる様に、ほんぜんとして自分の心の中に天地の開ける音を聞いて目を覚まさせて頂かねばならない。その為に、日吉さんじゃないけれども、むしろ神様に抵抗を感ずる時も有ると先日は言うとります。これだけ、自分は一生懸命成っとるのにと。けれどもそこの所を一つ大事にして、一段と次の信心に飛躍して行く事を願いとしての信心。
 そこから生まれて来る、只有り難いと云う心こそがですね。私はお道で云う本当のおかげだと。真に有り難いと云う本当のおかげ、本当の有り難さ。神様の喜びがこちらの心に通うて来る喜びを持って、金光様の御信心のおかげだと云う事をまず知って、為には、云うならば神様に嘘を云う事のない信心をして行かねばならん。大体富永さんと云う人は、神様に嘘を云う様な人では無いですけれども。
 っぽどもう一人の弟の為に全身全霊打ち込んだに違いない。だからその辺がちっと違ごうて来た訳です。自分がもう自分が働かなければ、自分がこうしてやらなければ、自分達が悪う成ってせにゃこて、もう先生是が親孝行ですよ。と云うてなさった事に違いない。それがあんまり素晴らしかったもんじゃこて、ちゃんと済んだとたんにがっかりした訳。そして、成る程おかげも頂いてありますけれども。
 それはもう実に有り難い事ですよね。 あちらの息子がたまにしか参ってきません。もう年に何回か位です。あちらのお母さんを連れて、そしてたまたま参って来た時に「和賀心時代」と云う事を聞いて、その和賀心が素晴らしいと解ったんです。だから「お母さん、親先生にお願いしてから、和賀心と書いてもろうて下さい。」と言うてからお願いした。そしたら、いつも美登里会の人たちが、長男長女が嫁入る時、餞けとして色紙をと、額をもってみえて、私に一筆書けと云う訳なんです。
 そしてそれを餞けにすると云う訳なんです。私は「和賀心」と云う様に短冊やあぁ云うものに書いた事は初めてでしたけれども、そのとき初めて「和賀心」と云う「賀」と云う字を小さく書いて「和」と「心」を大きく書いた「和賀心」と云うのを、色紙いっぱいに書かせて頂いて、美登里会の方に渡した。それを持ってお祝いに行かれた。開けてみて、びっくりした。私が書いて欲しいと思うて居ったそれが。
 そこに書いて有った訳なんです。もう、神様は見通しだと言うて感激した。だからそう云う感激は、皆さんがちょいちょい此処で受けられますでしょうが、所が、それはすっとするでしょうが。やっぱりそれもおかげはおかげなんです。けれどもね。唯そう云うおかげに直面した。そう云うおかげを頂いたから、有り難いのではない。おいしい物を頂いた事が、有り難いには繋がらない。
 昨日それを永瀬さん所でお話させて頂いた事でした。百味の御食を食べたと云う事が、美味しいけれども有り難いには繋がらない。私はむしろ、茶粥で「もう先生。今日は何もありません、すいません。」と言うて、その茶粥さんにお漬物で頂く時程、ただ有り難いものに触れると云う。だからあのお道で云う有り難いと云うのはね。今日私が申しました内容を持った所のおかげであり。
 有り難いと云う事でなければ、本当の限り無いおかげには繋がらない、と云う事ですね。心して其処の所に焦点をおいて、まぁだ其処までじゃない、たとえば富永さんの場合なんか、まだそこまでじゃないけれど、これでは自分はまだいけないんだと悟らせてもろうて、おかげを頂いて行かねばならんと思うのでございます。どうぞ繰り返しお願い致します。三日の報徳祭、此処から沢山のご参拝のおかげを頂いて頂きます様に、よろしくお願いいたします。